競馬と関係のない旅のお話

らしくないとは分かりつつも,筆を執りたくなるのが旅である.

一応本職は文章を書く仕事ではあるが,科学論文と競馬ブログでは当然違う.

理路整然と事実に基づいて書くのが科学論文であれば―であれば,とくれば競馬ブログがいかにもインチキになってしまう.

たとえば予想の教科書なら科学論文のように書かれているのが良い.競馬の情報や予想はどうだろうか.あまり深く,このようにすればよい,ということは考えてはいないが,出来るだけ予想から予想を排除するようには心掛けている.

折に触れて述べているが,ID地方競馬のGバジーさんも,また私の人生である.人生一度きりというが,別にいくつもの人生を同時に送ることは不可能ではない.これはネット上だけではなく,例えば職場での自分,馴染みの居酒屋での自分,そして旅先での自分―誰にでもあることだろうが,私はそのことに気づくのに30年弱を費やしてしまった.

今日はどの人生が筆を執ったのか.取り留めなく認めながら,列車は丁度よい速さで,いくつかの自分を運んだ東海道線を西に向かって進んでいく.

幼かったころ,青年,思春期,10年くらい前…ともかくその頃から旅が好きだった.見たことがないものを,食べたことがないものを,体験したことがないことを欲する,その気持ちが人一倍強かったと思う.なにより,自分のことを誰も知らない,という感覚が世界を広げてくれていた.

だから自分は一人旅を好んでいた.

炎天下の国道をひたすら歩いた山形,北斗星で行った朝4時半の晩秋の盛岡駅の静けさ,食パンとトマトジュースで生き延びたフェリーの20時間,はまなすを待つ札幌駅のプラットホーム,初めて見た瓦屋根と秋田の海,遠かった新潟,柏で見た別れの季節を彩る桜.

これは取り留めのなさで気づくのだが,やはり旅から連想されるものは,旅を始めたころのことが多い.

最近はすっかり旅とご無沙汰である.旅行もそれはそれでよいが,やはり旅とは違う.

いざ旅に出ようとなったところで,世の中は便利になり,手の平の中に世界がある.はじめに述べた旅への欲望はあまりに簡単に,旅抜きで満たされてしまう.

ましてや,本当の意味で一人になるのは,なかなか難しい.世界を捨てて,新宿の路地に佇むというのも悪くはないが,旅ではない.

旅はもはや絶滅危惧種かもしれない.そう思うと意地でも旅を取り戻したくなる.そんな想いから,そんな決意を持ってこの列車に乗った人間は他にいない気がするが,二夜連続のサンライズ瀬戸に挑むのである.

はっきり言ってこのサンライズ瀬戸の指定席はただの板である.当然腰が痛い,そして進行方向と垂直なので,わずかな揺れで転がる.仕切りはほぼない,あるだけマシと思うかもしれないが,どうせ作るならもう少し仕切ったら良いのに…と思う.

ほんの数十分前まで,ラウンジはおじさん二人が酒を飲みながらベタベタしていた.それから,シャワー上がりだったか,ノーブラのお姉さんが,後ろを通過した.そして浜松駅にサンライズが滑り込むころ,後ろでカップルがいちゃついている.プラットホームは無人ではない.当然誰も自分のことを知らない.

ここまでは自分が欲した旅である.

窓ガラスに反射した,眠そうな自分と,後ろでいちゃつくカップルが実に鏡写しだ.この風景はきっと弥生の空の後に残るだろう.何気なくBGMにした川嶋あいも,すべてが旅に溶け込む.これは自分が欲した旅なのだ.

しかし旅を取り戻す―というのは実にナンセンスであった.今すべてが美しく混ざり合った,この旅はこの旅でしかない.様々な人生を送ってきて,まさにこの時,手に入れた旅である.少しの間にそんなセンスも失ってしまったようである.この言い方では,また取り戻そうとしかねない.実に浅い人間である.

列車は第二の故郷である豊橋に入線する.扉が開くわけではない.鳩が一羽だけ5番ホームから,4番ホームへ渡る.少し見慣れない,懐かしい駅もわずかに与えてくれた.

列車はさらに西へ進んでいく.

Gバジー

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